実録 026-METAL 日記後の四日間(その1)

丹野賢一

栗東に滞在中ずっと付け、WEBに上げていた日記は10月6日を最後に更新はストップした。
これは、さきらと戦っていたという影響が全く無いとは言わない。
しかしそれ以上に、この頃私達はいつもの公演の時と同様に、連日深夜日付けが変わっても作品のクオリティーを上げる為のミーティングを行い、朝は早くから装置や機材の設置作業をしていた。ゲネプロ・本番を控えたこの頃は、時間はいくらあっても足りない状況だった。これは最初から想定出来ていた事でもあった。
が、結果として強行中止事件や本番に至るまでの詳細な経緯を観客の方々、blogを読んでくれていた方々に伝えられなかった事、記録が残せなかった事は、ずっと気に掛かっていた。遅くなってしまった事は素直に反省した上で、10月7日以降の事を、各日の出来事を中心に関連する以前以後の事象を含めて記そうと思う。

10月7日(木)ゲネプロの日。
作業は大きく遅れていた。
特に深刻であったのは照明関係の設置作業だ。
人手不足や、広大な会場での時間の掛かる配線作業、また電気系統のトラブルもあったが、一番の問題は当初私達の公演のさきら側の担当プロデューサーである山本達也氏と約束していた作業出来る時間が一方的に削られた事にある。まださきら入りする以前の打ち合わせ段階で、基本的には作業は22時まで行える事は確認し合っていた。
ただ日によっては多少時間を超える事もあり得ると伝えていたし、特に照明の設置作業を行う10月4日・5日は深夜2時か3時程度までやらせて欲しいと要望していた。何しろ照明だけは日が暮れないと、チェックする事は出来ないのだ。夜の時間が必要だ。それに対して、プロデューサー・山本氏の答えはこうだった。
「2時3時という約束は難しいけれど、取り敢えず12時としておいて更に1〜2時間こぼれて作業するのは大丈夫。」

しかし、さきら入りしてからの現実は全く違った。
近隣への音の問題があるので、作業開始の9月18日から全日に渡って、22時には片付けを含め完全に撤収、音の出る作業は21時にまでにして欲しいという。
後に大問題となる近隣への音の問題は私達はずっと気にしていた。
何度も下見を繰り返していて、さきらの周辺はマンションが並ぶ住宅地である事は当然承知していた。
だからこそ、野外公演を行うにあたり「音の問題は大丈夫なんですか?」と執拗に問うていたし、それに対し「大丈夫」という返答があっても、更に更に何度も何度も時間や日を改めて同じ質問をし確認していた。
それどころか、プロデューサー・山本氏は私の想定以上の音量の公演を例に出し「こんなイメージなんですよ」と言い、私の方が逆に「今回はそこまでの大音量のノイズや爆音は狙ってはいませんよ」と説明した経緯があった程だった。私達は、必要があれば自分達自身が近隣に挨拶や説明に行くので、そのセッティングをして欲しい旨を付け加え、近隣への音の問題は無い事を確認して今回の公演へのGOサインを出していたというのに。

21時という突然の提案に私は戸惑った。
時間が足りなくなるのであれば、人手を増やすしかない。
しかし、予算的にも時間的にも作業人員を大幅に増やすという対処は厳しかった。
付け加えると、今回はプロデューサー・山本氏の要請で、さきらで募集する公募スタッフとの共同作業を依頼されていた。
その公募スタッフに申し込んでくれたのは9名(非常に意欲的で、真摯な素晴らしい9名だった。一人の脱落者も無く全員が最後まで参加。)私達は、ワークショップを通じて練習し、公募スタッフに演奏して貰おうと考えていた金属打楽器隊の音楽的な面、そして美術・装置の設営に必要な人数などからして、少なくとも20名は必要だと伝えていた。
さきら入り以前に、とてもその数には届きそうにない経過である事が分かり、対応策が必要となった時もいつも帰ってくる返答は「集めます。増やします。」だった。そして、増える事などは無かった。
私達は無理難題を言いたい訳ではない。安請け合いせずに、出来ない事は出来ない、難しい事は難しいと素直に言ってくれれば、別の対策などを共に考える事が出来るのに。

話を戻そう。21時という提案に私はこう対応した。
近隣との関係は確かにあるし、地域滞在型の企画を引受ける以上、基本的には円満な関係で作品創りに挑みたいのは当然だ。
だから、音の出る作業は極力21時まではするように努力はする。但し、突然プランやスケジュールを大きく変えろと言われてもそれは困難だし、準備してきた作品が根底から覆される。今回の企画を引き受けた意味自体が無くなってしまう。
日によっては時間を超える事がある可能性、特にずっと言っているように日暮れが必要な照明のチェック等は絶対にその時間では無理なのだから、それはやらせてくれと。
プロデューサー・山本氏は対応するとの事だった。しかしそんな対応など殆ど全くされないまま今日10月7日に至っている。それどころか、彼等が勝手に変更し決めた時間が来れば、主電源は落とされ、鍵は閉められ、私達は外にある僅かな電源から投光器やマグライトで明かりを採り、外のテントの中で着替える毎日だった。
21時以降は話し声すら小さくし、提案に極力は協力しようという我々の行動など、報いられる事は無かったのだ。
今思えば、さきら滞在中の一ヶ月、否それ以前から、常に問題や問題となりそうな点を指摘しても、先送り先送りにされていただけだった。 何故ならば、彼等は共に思考などする気は全く無く、「さきらからの提案・意見=通達=強制的な決定事項」なのだから。
補足しておくと、プロデューサー・山本氏は「何とかしよう」とは思ってはいたのだろう。私達の約4年前のさきらの初下見から、ずっと私達との企画を実現させたくて動いてきた訳であるし、その熱意は感じた。しかし残念ながら、その熱意はただの熱意でしか無かった。さきら内部を纏めておく事も、近隣との関係も全く出来ていなかった。そして、問題が起きた時、自分の意見を押し通す事も出来なかった。全て上層部に弾き返されていたのだろう。しかし、そのツケは最後には私達に、そして観客へ回ってくる事は指摘せざるを得ない。

照明、装置の設置作業は続く。そして音楽、音響の準備、リハーサルも必要だ。
今回の公演では生バンドの演奏シーンがある。昨日、10月6日にバンドメンバーが集まり、初めて現地でこの部分の音を出した。演奏は素晴らしかった。生の演奏を聴いて作品の構想も大きく膨らんで、動きやシーンを良い意味で大きく追加、変更していく刺激となった。
しかし、さきらにとっては違った。
音量に関して近隣のマンションから何件かの苦情が来た。この事で音に関して、彼らは今までよりずっと過敏になった。
音量が想像以上だった?何で?バンドが入る事も説明していたし、音量を言葉で説明するのは難しい事ではあるけど行っていたし、必要な機材リストも出していて、そこからも想定出来るでしょ?
否、そんな事は彼等には関係ないのだ。自分達も了解していたとかは一切関係なく、ただ苦情が来たらそれに従って対応するだけなのだから。 それでも、バンドのリハーサルは絶対に必要だ。我々に付いているさきら側のテクニカルスタッフに音出しをしたいと伝える。が、駄目だという。
??????
理由は、担当プロデューサーの山本氏の許可が必要だとの事。
山本氏を探す。いない。見つからない。職員に聴いても居所がわからない。携帯は繋がらない。
テクニカルスタッフの人も困惑している。出したくても彼には決定権が無いとの事。
我々も勝手に始めたくても、PAシステムはテクニカルスタッフの元にあり、そのバランスチェックも必要なのだから、そうともいかない。
一時間が経過。山本氏が現れる。明後日、さきらの小ホールで行われる公演の打ち合わせをしていたとの事。
抗議すると、「(テクニカルスタッフは)音出しても良かったのに」。
呆れる。が、この一時間は戻って来ないし、別の形で補填もされないのは明白だ。
ゲネプロに向け、益々時間は足りなくなってくる。

当初、ゲネプロは本番と同じ時間である19時30分を予定していた。
が、こんな状況にされては準備などとても追い付いていない。
もう、とうに20時は過ぎている。何としてでも、ゲネプロは行わないとまずい。特に照明は今夜を逃すと、闇は本番まで訪れない、見る事は出来ないのだ。
そういった作品のクオリティー的にも問題があるのは無論の事、固定した観客席を作らず、美術・装置の中に出演者も観客も混在し、移動し、更に鉄板や4メートルもの鉄パイプが稼働する仕掛けが多くある今回の作品の性質上、チェックを怠れば出演者はおろか観客にも危険が訪れる可能性がある。
しかしこのままでは、彼らが言う21時にはゲネプロは終わらない。
私達は、まだ接点を探っていた。
本番の構成とは順番を変えて、音量の大きいバンドのシーンなどを先に持っていき、ゲネプロを行う事とする。もはやゲネプロという代物ではないけれど。
途切れ途切れのゲネプロを進める。

バンドの演奏の途中、音が突然止まる。クレームが来たのか?
動きを続けながら、音楽のスカンクに音を口でやるように怒鳴って指示し、ゲネプロは続く。「グワーン」とか「ギャーン」とかの実際の音楽を模した声の中で。
公募スタッフが中心の、鉄板や鉄パイプ、ドラム缶などを叩き演奏する金属打楽器隊の面々も、口で音を出してくれている。
私が叩く金属の音をスカンクがリアルタイムでサンプリングして増幅させてシーンがある。この場面の音が出ない。音響の電源を強制的に切られたらしい。
怒りが頂点に達する。着ていたライダースジャケットを地面に叩き付ける。
プロデューサー・山本氏が近寄ってくる。そして「照明だけやってください。」とか細い声で言ってくる。
「照明だけやってくださいじゃないだろ!了解事項とは違う時間提案を強制されても無理だと何度も言っただろう。それに対応すると言っておきながら、何のジャッジをせずに、先延ばし先延ばしにするから、こんな事になるんだろう!」
何もしなくたって陽が昇れば本番の日は来る。しかし、本番で上演する作品は出来ない。
ほぼ動きと照明だけとなっても、ゲネプロは続く。22時過ぎ終了。

ゲネプロ中、大声で怒鳴り込んで来た人がいた。
当然、音量に関する事だと思い、私達NUMBERING MACHINEのアーティストマネージャーである松本美波が説明をしようと赴くと「あんたは関係無い。」とその人に言われる。
「俺はさきらの対応に怒っているのだ。こういう事(公演)をするのであれば、時間通りにはいかないのはわかってる。しかし○時は必ず終わるとか、出来もしない約束を適当にするから怒っている。」
更に「口では詫びている癖に、お前電話を先に切ったやろ!」と。
さきらがいかに誠意の無い対応を近隣に対し、続けていたのかがわかった。
そして、この事は後日更に明白になっていく。その詳細は別項で記すが、例えば、マンションのポストにお知らせのビラを投函したからといって、説明は完了した事にはならないし、関係も生まれない。
彼らは、その「投函」という既成事実が欲しいだけなのかもしれないけれど。

音量に対する苦情問題だけを取り上げていくと、私達vs近隣マンションの住人という敵対構造が照射されがちだと思う。
しかし、私はそうでは無いと思っている。
まず、さきらの近隣には数百戸もの世帯が暮らしている。これだけもの数であれば、当然アートに関心も無い人も嫌いな人もいるであろうし、今回のような野外公演に苦情が一切来ないなどとは考えられない。言い方は悪いが苦情が来るのは当たり前でもあるのだ。
そして、私達は滞在期間中、近隣の人達の多くと険悪な関係であった訳では無い事は強調したい。
日毎に進行していく建て込みの様を観に、わざわざさきらを通って家へと帰る人、金属の素材が組み立てられたり、切断される様子を関心深く見ては歓声を上げ、ひやかしていく子供達、行く度に料理を大盛りにしてくれ、飲み物や果物を差し入れてくれ、応援してくれていたラーメン店の人もマンションの住人だ。
作業中に話し掛けて来てくれた人も多くいたし、私達はそのような機会があれば作業の手を止めて会話を続けていた。
そしてそんなコミニュケーションの現場に、山本氏以外のさきらの事務スタッフ(プロデューサーや管理者)が居たのを見る事は最後まで無かった。

かなり不十分ながら一応は全シーンを行い、後片付けをして私達は滞在先の一軒家へと戻っていった。
しかし、この日はまだまだ終わらないどころか、これからが問題の本番だった。(続く)