2001年5月31日(木) |
区の地域センターで稽古した後、東京に遠征してきた松本じろのバンド「沙弥音」のLIVEを聴きに、吉祥寺の「MANDA-LA2」へ。 ここも久し振り。10年振り位かな。 ジョン・ゾーンのネイキッドシティ以来。 いやあ、あの時のLIVEは良かった。 山塚アイのヴォーカル、吉田達也とPILLのツインドラム。 なんて思い出す。 「沙弥音」は3番目でトリ。 2番目のバンドが辛い。 「願い続けていれば夢は叶う」なんて、歌われてもそんな訳ないだろうが! 何だその緩い人生観は!本気か! 更に寒い駄洒落ギャグ連発のMC。喜ぶ身内客。 暴れても正当防衛のような気がしてきた。俺は無罪、俺は無罪、俺は無罪。 隣にいたパンクバンド「ゴルゴブッチ」のギタリスト、羽田健児君が飲んでいるビールの瓶が凶器に見えてくる。 遠くの席に居た山口が近くに来て、「丹野さん、大丈夫?」と問いかけてくる。 大丈夫じゃないけどさあ。 そこまで、気にかけられて俺は狂犬か? アコースティック系のバンドっていうと、こういう対バンでブッキングされがちだよなあ。 この辺何とかしてくれぇ、マネージャーの山口さんよぉ(引きつり笑)。 やっと終って「沙弥音」開始。 出だしから今までの空気を潰す感じの硬派な感じでカッコいい。 「沙弥音」は何度も聴いているが、そういえば今回のような音響設備のあるライブハウスでは初めてかも。 音圧がいつもとは圧倒的に違う。 特に尺八の音が強いけど、乱暴にはなってなく凄くいい。 当り前だけどPAって大事だ。メンバーであっても良いほど。 これは私の作業に於ける、音響とか照明に関しても同じ。 パッといきなり付き合えるものじゃない。 でも、公演の依頼がある時って、音響や照明は用意しますからって言われる事が多いんだよなあ。 例えば今回の沙弥音とか昨年のJCDNの巡回公演に出た際の札幌コンカリーニョの高橋さんっていう照明の方みたいにうまくはまればいいし、出会いのチャンスではあるけど、いつもそんな簡単にいくもんじゃない。 事情は理解もするけど、音や照明の人間を連れて行きたいというと、そんな贅沢なって返答が返りがちなのは違うでしょう。 かなりいいLIVEだった。 終演後、メンバーやLIVEに来ていた、若衆の鶴山欣也君、ミュージシャンのガスカンク君、東雲舞踏の堅田千里さん、ダンサーの尹明希さん、照明の吉岡靖君、ずっと公演を手伝ってくれたり、特殊整理券を作ってくれていた対馬淳子さんなどと飲む。 「焼酎ロックのダブル!」連発してたらいつも間にやら頭グラグラ。 |
2001年5月30日(水) |
制作の松本&山口と「SSW」の打ち合わせ。 公演会場が多いし、それぞれテクニカルな問題や関連イベントが違うから、話す事が多い。 話がすぐあちこちへ飛んでいく。 だから、一個一個を済ませてから次の話題に行けと言うとるだろうが!ゴラァ!(笑) 北海道テレビが、札幌公演を紹介してくれる事になった。 「Ballet」7月号を購入。 噂の河井克夫さんの、ニブロール「駐車禁止」のレビューを読む。 面白い。これ見たら行きたくなる。 イラストにある「たよってー、たよってー」「たよんなっ」の感じなんて、文章じゃなかなか出せないよなあ。 3月の横浜相鉄本多劇場でのこの公演自体も凄く良かった。 大量の情報が、猛スピードで変化しながら、同時多発で展開していく疾走感が快感。 今年の「当たり!」は今のところ、これと先月の笠井叡さんの「花粉革命」。 「ラボ20#9」を忘れちゃまずいか。 因みに昨年はぶっちぎりで、マリー・シュイナール。 バレエには全く興味が無いんで、「Ballet」読むところ少ない・・・。 |
2001年5月29日(火) |
区の地域センターに行って稽古。 さぼり気味だった身体を苛める。 舞台をやりたいから、最小限必要と思う訓練をするだけで、基本的には身体を動かす事は余り好きじゃない。 だから、公演がないとついついさぼりがち。 でも、大小含めてだが、昨年の9月から先月まで8ヵ月連続で何らかの舞台があった為、ブランクは少ない。 こういう意味でも公演の機会が多いのはいいな。 今月だけ出演舞台無しだけど、来月からは内定を含めると、最低でも6ヵ月連続でまた続く。 PowerMac7600の方でNetscape Navigator 4.04がまたシステムエラーを起こす。 Kaleidoscopeのせいじゃなかったのか! じゃあ、カッコ良い方がいいや。 HSさん作成のスキームに戻す。 「ラボ20 GO WEST!」に関する反応が出だしている。 掲示板に書いてくれたソバさんへのレスを考えたり、出演者からのメールに返信したり。 小暮宣雄さんも「アーツアレンダー」内の「こぐれ日録」で触れてくれている。 |
2001年5月28日(月) |
前日に新作に必要なものを探しに行ってくれた制作の松本からの報告を受ける。そして構想練り。 溜まっていた雑事や各方面への連絡を済ます。 「ラボ20 GO WEST!」の出演者の皆からもメールが一気に届く。 |
2001年5月27日(日) |
佐山サトル(初代タイガーマスク)主宰の掣圏道の練習試合を観に、昭島の掣圏会館本部道場へ。 格闘技の道場といったイメージではない、和気藹々とした感じ。 厳しい言葉と優しい言葉を織り交ぜて道場生のやる気を上げたり、集中させていく佐山氏のやり方に注目させられる。 絶対的な実力と知名度があるが故とはいえ、うまいなあ。 立川で乗った中央線、徹夜で飲んだつけで気が付いたら終点の東京駅。 |
2001年5月26日(土) |
数ヵ月前から起きていた外付けのハードディスクを認識しないという状況を修復しようと努力するが、直らず。 |
2001年5月25日(金) |
久々にゆっくりと眠る。 「ラボ20 GO WEST!」を観に来てくれていた宮沢章夫さんのホームページを見ると、京都その観光と生活という日記のページで「ラボ20 GO WEST!」の事に関して触れて頂いていた。 |
2001年5月24日(木) |
10:00AMにホテルをチェックアウト。 吉福さん、小浜君、山本君と近くの喫茶店へ行き、昨日の公演のアンケートを読んだりした後、暫く個別行動に。 心斎橋のLADS GALLARYでやっている知人の川井ミカコさんの個展を観る。 喫茶店メンバーに加え、手塚さんと淀屋橋駅で合流し、京都へ向かう。 JCDNの佐東範一さんの厚意に甘え、京都のスペースを案内して頂く事に。 まずは、三条の「アートコンプレックス1928」へ。 1928年に大阪毎日新聞社京都支局ビルとして建設された建物の中にある、天井がアーチ型のホールだ。 ここに来るのは2年振り位だろうか。 以前に来た時はまだオープン前で、劇場スペースには他の会社のオフィスが入っていた。 昨日の公演にも来てくれた会場のスタッフの安倍晶子さんと会う。 プロデューサーの小原啓渡さんやここのスタッフでもあり京都のグループ「モノクロームサーサス」のメンバーの森裕子さんから、オープン以降の活動の事、今後の方針の話を伺う。 国内では珍しいロングラン公演の企画や、長期に会場を使用して場所を作り替える程にして行う公演のアイデア等、こちらの創作欲も刺激される。 京都芸術センターへ移動。 小学校を改装した複合施設。 劇場となる空間は勿論、稽古や美術の製作場所のスペースも多くある。 しかも長期利用が可能との事。 他にも京都市はアートに関して、経済面でも施設面でも支援が盛んであるとの話。 素晴しいと思う。文句は無い筈だ。 が、そうやって保護されていくアートの状況には何か釈然としない感情も起こってしまう。 私も恒常的に使用できる稽古場は持ち合わせていないし、経済的な逼迫もしているから、良い環境は希求する。 そして実際に行政や企業からの助成金や協力を貰っている。 更に、企業の文化支援担当やプロデューサーの人達との会話は、アーティスト同士より関心時に対してコアな話が出来る事が多く面白いし、この関係は貴重だ。 でもどうしても気にかかる部分が残る。 制度に対して「違う!」と言い続ける事も、役目だし、原動力だし、魅力の筈だ。 薄まってはいないか? 佐東さん宅で休憩した後、滅茶苦茶うまいホルモン屋へ連れていって貰う。 ここも、2年振り位。 関西に行く度に行きたいと思っていたのに。 空港行きの電車の時間が迫っていて、約40分で慌てて堪能した後、関西空港へ向かう。 空港で大橋さん、天野さんと合流。 9:45PM発の飛行機で東京へ戻る。 羽田に11時過ぎに着き、徐々に皆と別れていく。 お疲れ様でした。 家に戻ると1時を回っていた。 |
2002年5月23日(水) |
いよいよ「ラボ20 GO WEST!」の本番日。 11:00AMに会場入り。 既に会場の設営や照明の吊り込みが行われている。 音響の秘魔神さんは急遽変更した使用曲を徹夜で編集してきてくれたとの事。感謝。 桜井圭介さんから電話があり、これから東京を出発して来てくれると。 楽の会の清水永子さんも横浜から起こった事態を自分の目で見届けたいと、昨日から来阪してくれている。 12:30PMより場当たりを開始。 厳格なビデオ映像と身体の位置、使い回しの少ない各自のスペシャルな照明、音量や音出しのタイミング等々のチェックに覚悟していた以上に時間がかかる。しかも5人分だ。 ここままではゲネプロが出来なくなる。まずい。 多少、巻きを入れながら進行。 とはいえ、今回の私の立場だとここが中々難しい。 自分が演出する公演ならば強引に進めるが、そうではないのだから、各々の出演者がスタッフと話し合って納得や理解をしていく事が肝要。 何とか予定を1時間半オーバーした、5:30PMにゲネプロ開始。 ゲネプロが終了したのは、7:15PM頃。 既に開場時間は15分過ぎている。 開演を10分押して貰ったが、それでも残された時間は僅か。 かなりのチェック事項があったのだが、今出来る事は限られている。 音響や照明のテクニカルな点や、直さないと致命的になると感じた部分に絞って修正。 正直、後一日欲しい! 後は、皆のライブ感に期待するしかない。 有田さん以外の出演者は関東在住だし、ソロでの関西公演は皆初めてという事で心配していた動員だが、会場内は満員。 TORII HALLを始めとする、皆様の努力に感謝。 本番は皆、ゲネプロより格段に良かった。 ただ、横浜から関係している私としては、どうしても比較としての視点が入ってくる。 基本的に好きなものであるという前提ではあるが、精度という意味では問題点も多かったかもしれない。 これには大きくは3種類あったと思う。 一つは、ビデオ映像や照明、音響等が厳格に決まらないと、致命的になるもの。 二つ目は、横浜での公演とは大きく作品の内容を変えてきたもの。 三つ目は、決められた動きの形より、本番時のテンションとか、強度の要素が圧倒的に重要なもの(どんなものに関してもそうなのだが、特に)。 一つ目に関しては、横浜のSTスポットの公演の時のように本番の数日前から会場に入れるのではない、即ち今回のように当日入りで本番(前日も少し作業させて頂いたけど)を迎えるといった時間が少ない場合の対応。 方法は色々あると思う。 多少のずれはものともしないライブでの対応力を持つ(あらゆるケースを想定した緻密な思考力もあるけど、身体の強度とか、ボキャブラリーの豊富さが大きいか)、専属のスタッフを連れてくる(あくまで時間短縮の意味。TORII HALLのスタッフの皆様には非常によくやって頂きました)、このようなケースで上演する演目を再考する、等々。 二つ目は、折角掴んだものを手放して一から始める事になってしまう。 繰り返す事によるモチベーションの低下を避けたいというのは、全く解らなくはないが、作品の成長は阻害する。 それに会場が違う事による対応だけでも、相当な変化な筈。 パフォーミングアーツの魅力の一つが一回性の出会いにもある事は否定はしないが、それとやる事を必要以上に変えよう変えようとする事とは違う。 三つ目は、会場や照明や音等がどのような条件の時に自分が強度を持った動きが出来るのか(出来やすいのか)、またその逆はどういう時なのかという把握。 また、STスポットの時との比較になるが、実際の会場で動ける機会が少ないのだから、自分を把握している事が重要になる。 終演後、会場内で打ち上げ。 バラシで随分時間が経ったのにも関わらず、大勢の方が残ってくれる。 プロデューサーの大谷さんから、良かったとの意見を、一人一人の感想と共に貰う。 一階の居酒屋へ20人位で移動して、続き。 厳しい意見を含め、公演の話が熱を持って続く。 結局、もう一件ハシゴして始発まで。 舞台監修という役割に関しての私の曖昧さも含め、課題も残ったが刺激的な企画だった。 最後に、当日パンフレットに書いた文章を。 今回の企画は「STスポット・ダンスシリーズ」であり、TORII HALLの「DANCE BOX」でもある。「ダンス」という言葉が2つも付いている。 ところが、実際に上演される5人の演目は、既存のジャンルとしての「ダンス」を彷彿とさせるものではない。それは各々が平易な「正解」への憧憬を持っていないからからだろう。個々が「自分に似合う」動きや方法を探して、作品として提出している。そんな「私」が単なる一個人に止まらず、他の世界と関係してしまう。そんな場面に出くわしてしまう事は、驚きであり喜びだ。 で、それは「ダンス」なの?私自身が「ダンス」とは縁が深い方ではないし、「ダンス」と呼ぼうと、呼ぶまいとどっちであっても良いのだが、パンクロックやポップスをクラッシク音楽の技術や方法で計るような噛み合わなさが払拭されるならば、「ダンス」もいいかななどと思い始めている。それは一部、この5人と関係した事の影響でもある。 |
2001年5月22日(火) |
羽田空港へ向かう。
格安ツアーの宿命で、6:45AMという早朝の集合。 電車内で、間に合わなかったソフト類をインストール。 空港で、「ラボ20 GO WEST!」の出演者の5人と、小浜君のスタッフの山本こうじ君、STスポットの吉福敦子さんと合流。 伊丹空港に着。 早速、TORII HALLに向かう。 今日も別の公演があるのだが、一角をお借りして、各自準備やスタッフとの打ち合わせ。 書店で情報誌を見ると、Lマガジンに天野さん、ぴあに小浜君の写真が小さくだが掲載されていた。 チェックインをしに、西中島南方のホテルへ。 簡単なホームページの更新をした後、1時間ほど仮眠。 TORII HALLでの今日の公演、DANCE SELECTION 6を観に行く。 出演は文さん、虫丸さん、尹明希さんの3人。 各自が約20分の作品を上演。 尹さんの作品では、私の公演の音も担当する松本じろがギターを生演奏。 良いダンサーと良いギタリストだと思う。 ただ、「作品」を作るという意味ではどうだったか? 事前に少し相談を受けていただけに、考えてしまう。 終演後、会場内で打ち上げ。 照明の三浦あさ子さん、舞台監督の高橋圭司さんらは明日の我々の公演の準備を行ってくれている。 小浜君もスタッフの山本君、ビデオプロジェクターの操作を引き受けてくれた大阪のダンサー北村成美さんらと準備作業。 |
2001年5月21日(月) |
必要になった周辺機器やケーブルを買いに。 ピンク色のTA、USBハブ、USB対応のマウス等を購入。 ピンクのTAは珍しい。御満悦。 帰って接続。 プリンタ用のUSB変換ケーブルを繋ぐと、全てのUSB機器を認識しなくなる。 色々試すが、駄目。明日は、早朝に東京を発つというのに。 OSを再インストールした方が速いと、実行。 徹夜で何とか大阪行きに間に合わせる。 |
2001年5月20日(日) |
昨日見たPowerBook G3を買いに出かける。 ウィンドウの前で暫く悩むも、携帯接続用のデータケーブルと共に購入。 これで、明後日からの大阪行きもOK。 作業場に戻って、セッティング。 全ての処理が当り前だが段違いに速い。今までの無駄な時間は何だったんだ。 アイコンも全部HSさんのManiac Iconsに変えなきゃ。 「JCDNダンスリザーブ」修正されたとの事で、再度チェックして報告。 |
2001年5月19日(土) |
「ラボ20 GO WEST!」に出演する天野由起子さんの稽古を観に、枇杷系スタジオへ。 原口佳子さんが音響で協力してくれる。 一度やって貰って、三人で話し合の後、再度やってもらう。 個々のシーンに繋がりが出てきて、良い感じになる。 天野さんは、どんな題材でも舞台に乗せるに足るものにしてしまう。 言い換えると、ダンスの題材になり辛いものを皆ダンスにしてしまう力がある。 強力なキャラクターが作らなくとも、既にある。 何をやっても成立してしまう部分が逆に難しいとも言えるけど、相当に魅力的なパフォーマーである事は間違い無い。 奇麗に纏めずに、天野ワールド全開でいってねと期待。 現在、PowerMacの7600/200と6100/66を使っている。 インターネット用はPowerMac6100なのだけど、2年少し前に初めてコンピュータをいじるのに友人から安く譲って貰ったこのマシンでは、遅くて遅くてもう限界。 ホームページも作ったし、今後ツアーで東京を離れる事が多くなるこし、NICOSカードの利用限度額も上がった事だし、PowerBookが欲しいなあと思って、中古を探しに。 購入候補をいくつか見つける。 作業場に戻って、どれがいいか考えたり、インターネットで調べたり。 数日前から放っていたPowerMac7600の方でオフラインでホームページのチェックに使っているNetscape Navigator 4.04を立ち上げるといつもシステムエラーが出る原因を調べる。 Kaleidoscopeが原因だった。 HSさん作成のスキーム、カッコ良くてお気に入りっだったのだが、断腸の思いで外す。 もう一台には使えるからと自分を慰める。 |
2001年5月14日(月)〜18日(金) |
「sky fisher」とか「あぶらだこ」とかを聴きながら、ずっと「ラボ20 GO WEST!」や「SSW」に関する原稿や各方面への連絡文を書き続け。及びホームページの更新作業。 |
2001年5月13日(日) |
「ポワレティカ」の流川さんとの新作の衣装の打ち合わせの為、家を出る。 道中、前方に子供(孫?)を自転車の後部座席に乗せて走る、おばあさんの姿。 狭い道の真ん中で急に自転車を止め、子供を降ろそうとした為、ぶつかりそうになる。 子供に「危ない!」と発するおばあさん。 「子供に危ないという以前に、道の真ん中で止まらないように」と極めて無機的に話しかける。 こういうの黙ってられないんだけど、皆、派手な服着て、黒眼鏡、髪を逆立てた奴に言われると、キョトンとしてけつかる。 流川さん宅へ。 4着発注の内の1着「ヒレ付き白パンク」は9割方完成。 見てみて、着てみる。 やはり、実際に見たり着たりしてみると、構想が一気に進む。 次に「赤いビニールスカート」の仮縫いチェック。 私の衣装には少ない、タイトなものが出来そう。 これは、昨年淡路島の安藤忠雄氏建築の場所で行われたイベントで行った、水中に倒れまくったり、コンクリートの壁に激突しまくったりしたパフォーマンスの構成をベースに作品化する予定。 劇場版にしたら水は無いけど。 次に「オーバーオール」を着てみての意見交換。 皆から動きのアイデアが続々出る。 流川さんが、こんな感じかなとやってみせる動きが面白い。 自分でやってみると、余りうまくいかない。 やっぱり個々の体型とか普段の身体の使い方で、似合ってくる要素は大きい。 で、そのアイデアを懐に入れて、自分に似合ったものに変えていく作業をこれからすると。 流川さん、そして協力者の塚原修さんとは、互いに主張を出し合いながら進めていけるから、非常に刺激的だ。 充実且つ進展した打ち合わせ。 作業場に戻り、依頼のあったJCDNで準備中のチケット予約システム「JCDNダンスリザーブ」のMacでの動作チェックを、Internet Explorer5、Internet Explorer4.01、Internet Explorer3.01、Netscape6、Netscape Navigator4.04、Netscape Navigator3.01の6種類、勝手に追加してドリームキャストのドリームパスポート3で行い、報告。 |
2001年5月12日(土) |
札幌のコンカリーニョの斉藤ちずさんからメールが来る。 「SSW」の公演と共に行いたいという、子供向けのワークショップの件。 ちずさんの私と子供を出会わせてみたいという熱意もあって、出来る事があれば考えたいのだが、どうもワークショップって懐疑的な部分が多いんだよなあ。 ワークショップに関しては、後日また書くつもり。 |
2001年5月11日(金) |
「ラボ20 GO WEST!」の打ち合わせを照明の三浦あさ子さん、出演者の大橋めぐみさん、天野由起子さんと。 その後、東京にいらしていたJCDNの佐東範一さんと別件の打ち合わせ。 「EATER」に興味を示してくれた佐東さんに一冊進呈。 |
2001年5月10日(木) |
「SSW」の公演会場である愛知県芸術文化センターへ。 99年11月に、ドラムのフリッツ・ハウザー氏、マリンバの安倍圭子さんとのコラボレーションを行わせて貰って以来の訪問。 地下のビデオを観る事の出来るスペースへ。 今年の私達の公演場所と同じ小ホールで、愛知県芸術文化センターの自主事業として00年1月に行われた「コンテンポラリーダンスシリーズ3 ボーダレス時代の個性たち バレエ〜舞踏」のビデオを観る。 伊藤キムさん、大島早紀子さん、山崎広太さん、笠井叡さんの作品を一度に上演した企画。 こういったビデオをいつでも観られる環境は素晴しい。 新幹線で東京へ戻る。 |
2001年5月9日(水) |
在来線を乗り継いで、名古屋へ移動。 名古屋公演の制作を引き受けて頂いている、アートプロデューストーチェの伊藤ふき代さんのセッティングで記者会見。 先月、横浜のSTスポットで行われた、足立智美+山田うんのプロジェクト「VACA」の公演の際に出会った、岐阜の安田千草さんも駆けつけてくれる。 質問も多く出て、中々面白いトークイベントといった趣きになる。 昨年の名古屋公演の際にお話しした記者の方々も多く来てくれて、以前の事が着実に次に繋がっていることを実感。 ぴあの小島さんと、「名古屋を盛り上げましょう!」と話す。 その後、クラブの「OZON」を下見。 可能であれば、「SSW」のプレイベントを行おうかと思っている場所。 私が何かをやるには、観客が(具体的に)踊るという事を最重要にして欲しいとの会場側の依頼との間で難問も多いが、魅力的な空間ではある。 担当の方も元々は御自身がパフォーマンスをされていたとの事で、色々と考えてくれる。 その後、昨年の公演を観て制作の協力に名乗りを上げてくれたレオナルド備前さん、名古屋のパフォーマーの浜島嘉章さん、黒野靖子さん、編集者の佐藤晶さんらと合流して一杯。 伊藤ふき代さん宅の離れをお借りして泊めて頂く。伊藤さん、色々と有難う! |
2001年5月8日(火) |
大阪の扇町ミュージアムスクエアで山田うんさんと合流。 このところ彼女とは、沖縄や仙台そして今回の大阪と、互いに東京在住なのに、会うのは東京以外の場所が多い。 会議室で新聞、雑誌の記者の方々に集まって貰い、「SSW」の記者会見。 今回の大阪公演はTORII HALLと扇町ミュージアムスクエアの2会場。 会場毎に分断している観客層、各々の会場のイメージ、そして自分達のイメージももっと混在させられないかとの試みだ。 記者会見の準備をしてくれた扇町ミュージアムスクエアの松井仁子さん、TORII HALLの大谷燠さんに感謝。 いつも関西公演を中心に、それに止まらず各地の公演に協力してくれている、橘ゆみさん、ARTS STAFF NETWAORKの安部晶子さんも駆けつけてくれる。 終了後、大阪のスペース「kiti.」へ。 桜井圭介さんやJCDNの掲示板でお馴染みのソバさん=うどんさん(笑)と会う。 旧材木店を改装したスペースはヴィジュアル的にも魅力的だし、特定の方向性を「kiti.」としては持たない(正確には場所は思考しないから、複数の管理人の方々がか)という姿勢もあってか、開放的な感じもある。 ソバさんとは初対面だったが、「kiti.」の「あらかじめつくられた『主体』など不可能な場所」という理念の話、インターネットと付き合う(特に掲示板等の管理人である)事は常に自分を「オン」の状態にしている事であるとの話、私達の関西滞在中のいつもの宿泊先である制作の松本の実家が、ソバさんの出身地である奈良である事から、その近辺のローカルな話題と盛り上がり、あっという間に時が過ぎる。 ソバさん自身も、掲示板での書き込みのイメージとずれの少ない聡明な方。 具体的に何をするかは思考中だが、今後出会いを深めたい場所だ。 奈良に戻って、着流しを着てみながら新作の構想を練る。 |
2001年5月7日(月) |
朝、作業場から久々に自宅に戻ると「EATER」の第8号が届いている。 グラビア、ポワレティカの連載ページ、発行人の地引雄一さんのレビューで昨年の公演が取り上げられている。 「EATER」はテレグラフ・ファクトリーが発行する雑誌。 地引さんは80年代に、テレグラフ・レコードというレーベルを運営していた。 まだインデーズなどという言葉が使われていない頃、私は「自主製作盤」のレコードを買い漁っていた。 自分の営為としては舞台を選んだけれど、きっかけは音楽だった者としては、「テレグラフ」に取り上げられる事には特別の感慨がある。嬉しい。 昨年の東京公演の会場ロビーで絵画展を行って頂いた立島夕子さんのインタビューや、旧知だったアレルギー・水の羽等の久保優子さんの回想録、15年前に少しだけ私も参加していたバンド「すきすきスウィッチ」で一緒だった佐藤幸雄さん、篠田昌己さんらの名前も出ている。 関西へ出発。新幹線で京都へ。 京都から奈良への移動中、携帯電話の電池が切れる。 非常用の電池式の充電機を繋ぐと、メモリーが全部とんで00月00日00時00分に・・・。 記憶させている皆の電話番号も全て無くなっている・・・。・・・。・・・。 起こってしまったものは仕方無い。気を取り直しながら、奈良に着。 京都のパフォーマンスグループ「op.eklekt」の奥睦美さんと作戦会議。 「op.eklekt」とは91年の兵庫・摩耶でのイベントで一緒になって以来の関係でもう10年だ。 当時のイベント直後は余り繋がりもなかったが、お互い活動を続けて来たが故か、ここ数年はお会いする機会が多い。 その後、大阪のTORII HALLに移動。 「ラボ20 GO WEST!」の打ち合わせを音響の秘魔神さん、照明の三浦あさ子さん、舞台監督の高橋圭司さん、出演者の有田美香子さんらと行う。 今回の公演は当日仕込みでの本番を迎えるのだが、わずかな準備時間で会場の設営や5人の出演者の希望の照明をセッティングしてしまうTORII HALLのスタッフワークに感心する。 会場を訪れていた「AGUA GALA」のARISAKAさんと偶然会う。 彼とは10月のスイス&ポーランド公演を一緒に廻る予定。 新薬師寺で行われている「沙弥音」のLIVEを聴きに、奈良へ戻る。 しかし、最後の一曲にしか間に合わず。 終演後場所を移動して、 LIVEに来ていた文化農場の橋本敏子さんに新企画の相談。 「NPO」や「ワークショップ」がブームだが、実はアートやアートを支援する環境とは矛盾する部分も多いのではないかなどの興味深い話にもなる。 奈良の書家で陶芸家である松本碩之さん宅に泊めて頂き、久々に布団で眠る。 |
2001年5月6日(日) |
PCにあるファイル修正日の情報を見ると、どうやら丸々2日間起きっ放しである事が発覚。 「SSW」の大阪公演の記者会見や、「ラボ20 GO WEST!」の打ち合わせの等の為、この日新幹線で関西へ移動の予定だったが、作業途中、ついに眠ってしまい、明日の朝出発に変更。 |
2001年5月5日(土) |
前回の睡眠はいつ頃で、いつ頃起きたのかが、わからなくなる位、起き続けている。その割に冴えている感じがする。 今日ははシラフだが、数日前に20時間以上飲み続けながら、PCに向かっていても、全く酔わなかった事があった。不思議だったが、いくらでも集中していられた。 夜、横浜STスポットに「ラボ20#10」を観に行く。 珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝さんがキュレーター。ソロ5人の公演。 何冊もの本を頭に乗せては落とし、また乗せては落としと延々と繰り返す、中村公美さんのパフォーマンスに妙に集中させられる。 このような題材でも、コンセプトにがんじがらめになった感じは左程なく、飄々とした感じがある所がいい。 変わらない行為にやや退屈もしながらも、もういいやとはあきらめ切れない。 結局、どう展開して、どう終わろうっての?と、否応無く関心を持ってしまう。 本原章一さんの関西のお笑い芸人を彷彿とさせるキャラと動き。 笑いを誘う事をやっても、あざとく見えない。 寧ろ余りにあざとい(身に付いている)から、見え方としてはその対局に行っているのかもしれない。 観客の勝手な希望だけど、この部分を全開にした公演を観たいなあ。 そして、帰ってまた作業。 |
2001年5月4日(金) |
ここ数日は、ホームページの作成に殆どの時間を費やす。 数日前からサーバーにはアップロードしていたが、昨日、ここのアドレスが記載された「SSW」のチラシが完成したので、これが撒かれ始める数日後が実質的な公開となる。 当初目論んでいた程のコンテンツを揃えるには間に合いそうもないが、ラストスパート中。 夜、ポワレティカの流川さんからTEL。新作の衣装の進行に関する打ち合わせ。 昨年の「009-COLLAR」「010-SKIN」「011-DOT」「012-RAG」の4作品の衣装4着に続き、今年も新作4着を依頼している。1着は大分完成に近づいた模様。目の当たりにするのを、心待ちにしている。 まだ購入していないが、現在発売中の雑誌「EATER」にポワレティカと私の記事が出ている筈。 新作の御披露目は、7月4日の沖縄公演になる予定。 昨年の作品を含めた計8作品を会場によって選別し組み合わせるのを中心に、山田うんとの合同ソロプロジェクト「SSW」や10月のヨーロッパ公演に挑む事となる。 |