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DIARY(2001年6月)

2001年6月15日(金)
松本じろに音を出して貰っての稽古。
一気に作品が進行する。
この所、長文を書く余裕無し。
2001年6月14日(木)
稽古。
夜、懸案のワークショップ等々の件で、札幌コンカリーニョのプロデューサー斉藤ちずさんと長電話。
2001年6月13日(水)
ダンスカンパニーNomade〜sの所有する「スタジオBrick」を見学させて貰う。
稽古場に加え、ゲストハウスまである。いい環境。
急なお願いを聞いてくれた池宮さん、熊谷さん有難う。

別件で東京に来ていた札幌コンカリーニョの舞台監督の細川和寛さんと新宿で打ち合わせ。
山田うんさんと彼女の作品の音楽を担当する足立智美さんも含めて。
細川さんとは昨年の10月のJCDNの巡回公演「踊りに行くぜ!」の時以来の再開。
同じ喫茶店で打ち合わせていたらしい小浜正寛君に偶然会って驚く。
2001年6月12日(火)
照明の吉岡靖君、山田うんさんと江古田で打ち合わせ。
吉岡君に新作の衣装を見せて、照明の構想を話す。
深夜、音の松本じろが東京に来る。
これからは本格的に稽古三昧の日々になる筈。
2001年6月11日(月)
今時、MDプレイヤーを持っていない。
前々から、公演の音を担当する松本じろからも、前から「打ち合わせにも必要だしいい加減用意してくださいよ!」と言われていた。
先日、現在奈良で作曲中の彼から今回の新作用の音の第一案をMDでもらう事を了解した。
そのMDが届いていたので、慌ててMDプレイヤーを買いに吉祥寺に出かける。
作業場に戻ってセッティングして、早速聞いて、電話で打ち合わせ。

宮沢章夫さんのHP内の「今日とその観光と生活」を覗くと、小暮宣雄さんの「こぐれ日記」の事が書いてあった。
小暮さんは先日の大阪・TORII HALLでの「ラボ20 GO WEST!」の事も書いてくれている。
この内容に関して、宮沢さんが、
『「ラボ20」について、「全体に横浜は難波に比べれば淡泊な(=知性が暴走を抑えているような)ステージのように思う」と小暮さんは書いている。東京と関西の比較としてたしかにそういうところはある。つまりそれを、「淡泊」と受け取るか、「かっこいい」と受け取るか。微妙な問題。』
成程。
確かに私自身「淡泊」気味なものの方が、「かっこいい」と好むきらいがある。
東京と関西という関係の話から外れて、一般論にはなってしまうがこんな事を考える。
私は作者(演者)の狙いみたいなものがわかり易く伝わり過ぎるものが苦手なんだと思う。
それはある種、作者(演者)の行為を観る側が確実に掴めるという事で「安心」出来る状況にはなるんだと思う。
でもその「安心」が苦手。
少し醒めていたいとか、自分で考えさせて欲しい、判断させて欲しいって感じになる。
勿論、「狙いがわかり易そうには見えないようにする狙い」っていう言い方も出来るから、それも「狙い」には変わらないにとしても、こちらが判断出来る感はある。
特に「笑い」に関してはそう。
舞台作品で見かける「笑い」ってそれが面白いかどうかより、作者(演者)が「笑わせよう」としているという狙いを受信して、それに反応して観る側が「笑っている」という風に感じる事が多い。
趣味趣向は個々にあるし、あらゆるジャンルに貴賤無しっていうのが私の基本的なスタンスだから、それを楽しむ方がいる事に文句はつけられないのだが、私にはこの「安心」感が会場に充満する事態は非常に辛い。
「笑い」に厳しいと言われる関西ではこの辺はどうなんだろう。
って、関西の話に戻ったや。

「笑い」って言えば、昔から基本的に日常でも苦手な行為。
もう16年前の話だけど、田中泯の舞塾のメンバーだった頃に、初めて泯さんから自分用に用意された指示が、「笑う男をやれ!」だったなあ。
「丹野は笑う事にこだわってるだろ。だからやれ」って。
その「笑う男」が舞台に上げるものとしてうまくいったかはさておき、当時の泯さんの構成はとにかくパフォーマー一人一人を見て行われてた。
それは痛々しい事もしばしばなんだけど、メンバーの特性を見て「こいつにはこれ、あいつにはあれ」って、得意だったり苦手だったりする事を指示してたと思う。
最近の泯さんの作品を観てもそれは感じないけど。

2chに「ダンス板」なんて出来てたんだ。

借りていたビデオ「ダークマン」を観る。
2001年6月10日(日)
何とか集めた投稿をアップすべく、「掲示板過去ログ」のページを作る作業。
2001年6月9日(土)
HP内のあちこちで使っていた「TOP」の画像を変える。
変更したものを選んで更新するのは量が多いし、アップをし忘れるものが出そうだなと思い、全てのファイルをアップロードしたのが大失敗。
cgiのフォルダも上書きしてしまった!
で、掲示板の投稿が全て消失。
慌てて、作業場から家に戻る。
家のPCになら最新のものは残っている筈。
あとは、以前に取っておいたログで何とかならないか!
4/5は集まったが、やっぱり、10投稿程消失してしまった。
ミスした事とまめにバックアップを取っておかなかった事、二重の不手際をした自分が許せない。
切腹ものだ。
書き込んでくれた皆さん、申し訳無い。
2001年6月8日(金)
中野で山田うんさんと「SSW」の極めて具体的な打ち合わせ。
取り敢えず、前半戦の札幌、沖縄、大阪(TORII HALL)の話を中心に。
会場によって条件が違うのは無論の事、意図的に演目も変えるから、話す事は多い。

沖縄の「SSW」で何をやるかこの所、熟慮。
何しろ、翌日のLIVEにも出る予定だし、翌々日の「水の沖縄プロジェクト」 にも、パフォーマンスユニットS.O.D(沖縄)との合同企画で関わろうとしているから。
2001年6月7日(木)
すっかり復活。
この間に溜まってしまった様々な作業を済ますのに追われる。
2001年6月6日(水)
若衆の鶴山欣也君からお誘いがあるも、断腸の思いで断わってお休み。
2001年6月5日(火)
体調回復に努めるべく、意を決して休む事に。
でも、こんな状態で冷蔵庫漁って牛乳1リットル飲んだり、生でウィンナー食ったり、発見した蒟蒻貪り食うだけって良くないんだってね。
後で知った。
生活能力に乏しいらしい。
2001年6月4日(月)
起きたら、体調最悪。
っていうか起きられない。
稽古に行かなくてはと、無理矢理起きたら「嘔吐」「下痢」「目眩」「発熱」って昔のパンクのバンド名か曲のタイトルのような状態。
畜生!小学生の時の水疱瘡以上の病気をした事がないのにこんな不覚をとるとは。

稽古場で、昨日LIVEを終えて今日関西に戻る音の松本じろに新作の衣装を観て貰って、音の構想を話す。

稽古を終えて家に戻るが、状態戻らず。
2001年6月3日(日)
「SSW」の名古屋公演の関連企画(まだ内緒)の打ち合わせで新宿へ。
名古屋方面の皆さん、お楽しみに。

終了後、松本が当たりをつけておいてくれていた、新作の衣装を合わせる靴等を見にあちこちのショップへ。
いつもは黒いエナメルのブーツを愛用(マーチンのものはロングブーツにしては軽い)しているのだが、今回の新作用には合わない。
靴は難しい。
既製は色や種類も少ない。オーダーの可能性も考えるが、今衣装を作ってくれているポワレティカの流川リコさんや以前担当してくれていたCOUNTER CLOCK WISEの尾竹宣彦君のように一緒に作品を作っていく感じの靴職人とはまだ出会っていない。
動き易さだけ考えれば、裸足やダンス用のシューズが良いのだろうが、服だけ凝ってそんなご都合主義になる訳にはいかない。
底の部分まで銀色混じりの靴発見。ボロくなってきた黒いエナメルのブーツの代わりも新品を見つけて共に購入。
後は履いて本格的に動かなきゃ使えるかわからん。
以前もこれは軽いしいいや!と狙って買ったボクシングシューズが、底が余りに滑らないんで爪先でストッパーが働いて膝が動かなかったり、戦闘用に前傾姿勢を取るように作られているから自分の舞台での動きにはやたら不安定だったりしたし。

完成した新作の衣装を受け取りにポワレティカの流川さん宅へ。
白いヒレパンクとオーバーオールがポワレティカ&上海特殊工房の手によって完成!
前回の試着では、きつめで深く腰を落したら裂けそうだった股間部分も部分的にストレッチ素材を使う事で解消。
構想がまた進む。

前日から今一つの体調だったんで、酒を控えていたら、夜になって苛々してくる。
ここで飲んだら負けじゃん、でも飲まなきゃ考え事も出来ないじゃん、と数時間葛藤と暴れを繰り返した末、結局飲む。(アル中かい!)
落ちついて「SSW」に関する内容や制作に関して思考、したのだが・・・。
2001年6月2日(土)
昨日じゃなくて今朝まで飲んでいたつけで、ううぅ状態。
2001年6月1日(金)
青山のスパイラルホールへ「CJ8」を観に出かける。
日本とカナダ、それぞれ4組ずつの振付家による作品8本を上演する企画。
3番目のカナダの「HOLY BODY TATTOO」の作品が気にかかった。
会場で会った人から、公演に関わる嬉しい話あり。まだ内緒。

その後は今日も「沙弥音」のLIVEへ。
日暮里の「和音」でワンマン。
ここは邦音系の店。
入ったらいきなり、店員で尺八演奏者の小浜明人君に「昨日、相当酔っ払ったんですって?」と聞かれる。 ううぅ。
「誰が言ってた?」「皆んな」ううぅ。

昨年の公演のフライヤーのイラストを書いてくれたHSさんと久し振りに会う。
フォトグラファーの関暁君、服飾デザイナー尾竹宣彦君、西藤光恵さん、ダンサーの河村靖子さんらも来ていて語らう。
今日はお客さんも少なかった。昨日と割れた。
戦略的にも、音響的にも東京に来てやるなら一発で、対バンも選んで、ライブハウスでやった方が良いんじゃないかと思う。
そういう総合的なインパクトも大事。自己プロデュース。

また、飲み過ぎ。ううぅ。

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