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DIARY(2002年12月)

2002年12月11日(水)
0時過ぎの飛行機に乗り、トランジット先のバンコクへ。
この空港はこの短期間に4回目だ。
残ったルピーを換金しようとするが、どこも扱ってくれずたらい回し。
ようやく換金可能な銀行を発見。が、あからさまに嫌そうな行員の顔。
ルピーの貨幣価値の問題か、偽札が多いのか。
1枚1枚、透かしを見て入念なチェック。インドの紙幣はボロボロのものが多い。破損が激しいものは換金を拒否される。
インドのホテルでは従業員が偽札チェックの為、紙幣に穴を開けてるのだから、破損は当然激しくなるわな。
すっかり馴染みの店気分になっている空港内に一軒だけある喫煙可能なカフェでビールを飲みながら、成田行きの便を待つ。 機内へ入ると久々の日本語の新聞。隅々まで読む。
成田に到着。
帰って来たという感覚が全くない。
これからすぐにまた公演場所に移動するような気分だし、そうしたい。
ともかく、7ヶ国、15公演、49日間に及んだ海外ツアーは終了した。
日本ではまず味わえないであろう達成感と充実感と成果をもって。
2002年12月10日(火)
空港には夜に行けばよいので、それまでの時間は開いている。
用意して頂いたバスに乗って、遺跡「クトゥブ・ミナール」へ。
他の車の往来をぬって、信号待ちで停車するバスに近寄ってくる赤子を抱いた物乞いの女性。ずっとあちこちの窓を叩いている。
金銭を与えると、法的には1000ルピーの罰金だという。
「クトゥブ・ミナール」に到着。
バスから下りた途端、群がってくる、おみやげ品の物売り達。
商品をかざし値段を大声で叫び続けながら、異常接近で延々とついてくる。
遺跡を見物。中は物売りは入れないので急に静かな環境に。
が、今度は僕らに興味津々の子供達が増殖しながらずっとついてくる。
何故か僕を見て「WWEのロック、WWEのロック」と話しかけてくる。
僕が大のプロレスファンである事が雰囲気で伝わった?
「WWE」の浸透力とプロレスというパフォーミングアーツのダイレクトさを実感。
インド料理店で食事後、オールドデリーへ。
古い建物の食料品店、洋服屋、楽器屋、バイク屋、鞄屋等々が雑多に並ぶこの街は、活気と喧噪に満ちている。面白い。
街を歩く僕とスカンクの姿にタイ以上に遠慮のない大騒ぎ。そしてセールスしてくる店員達の数々。
店にちょっと入ると、次から次に商品を出しての説明が始まるし、街を散策するにはいくら時間があっても足りない。
サリーを購入後、楽器店へ。
今回は日本に残っている、もう一人の音楽担当者のじろに、シタールか何か楽器をおみやげにと考えるが、ただでさえ大量の公演荷物との両立は難しく断念。
バスの待つ皆との待ち合わせ場所へと戻る。
皆、引き続きこのオールドデリー付近での行動を望むが、案内をしてくれているインドの学生の方(公演中も通訳の仕事で活躍してくれた)は、この辺は危ないと一刻も早く移動したい様子。
ちょっと過敏過ぎるかなとも思いつつも、彼等の案に従いニューデリーへ。
ここは観光地の土産物屋が並んでいる感じで退屈。
その割に、セールスのしつこさと好奇の視線は変わらないので、早々に散策を止める。
うるさくない、物静かなセールスで好印象と思ったら、ドラッグ売りだし。
ホテルに戻り、ツアーメンバーが全員集合。デリー空港へ。
職員からセキュリティーから、何人もが「ナイスヘアー、ナイスヘアー」と話し掛けてくる。
確かに珍しいだろうし、直接話しかけてくるのだから、ちゃんと対応はする。
でも行きも帰りもだし、ホテルでも、街でもだしで、すっかり飽きてたりする。
2002年12月9日(月)
ニューデリー公演の本番日。
昼過ぎに会場入り。
ここでの公演は、パリやバンコク公演と違い、3組の上演間の休憩を入れない事となる。
休憩があると帰ってしまう観客が多いかも知れないとの事。
ゲネプロ開始。
「011-DOT」の最中、一部の照明がつかなくなる。
高速度でフェーダーの操作をしているのだが、速く動かし過ぎるとブレーカーが落ちるらしい。
ゆっくり動かしてくれと、インドのスタッフに言われるが、それでは作品にならない・・・
本番はブレーカーのそばに人がついて、落ちたらすぐ復旧させる事に。
「012-RAG」では、ギターの音色がおかしい。
どうやら僕らが席を外していた時に起きた停電で、設定したエフェクターの設定がリセットされた模様。
停電はニューデリー全体の問題で、本番でも充分起こり得るとの事。
ゲネプロ終了後に、万が一の時の対応法をスカンクと協議。そして、音色の設定もやり直す。
ところで、音色の問題はあったとはいえ、このリハーサルでのスカンクのギターは過去最高の出来。
ずっと話し合い、悩んできた事の、大きな前進。
本番。
国際交流基金の佐藤さんの場内アナウンスの後、「011-DOT」のアニメーションを上映。
終了と同時に客席からの笑い声。
初めとしては、今までない位のリラックスした乗りの良い反応だ。
「011-DOT」上演。暗転と同時に大きな拍手。
懸念していたブレーカー問題も、一秒ほどの暗転は途中あったものの、これなら効果の一部といった感じで問題無し。
更にダイジェストのビデオ終了後にも拍手。ここの映像の部分で拍手が来たのは初めてだ。
「012-RAG」。
中盤を終え、会場の構造に似合う形で、いつもより早く客席内の通路に入っていく。ここでも拍手。ここでくるか???
更にスカンクがギターの早弾きをすれば拍手。
舞台の端に僕が移動し、退場の気配が少しでも感じられると、先回りして拍手。
やたらと乗りが良い。これまで受けた事がないタイプの反応だ。
正直、頻繁に起きる拍手で、観客に「サビ」をコントロールされているようで、やや戸惑った部分はあったのだが。
終演直後、2階の客席内で演奏していたスカンクの近くにいた人が、彼に興奮して話し掛けてきたらしい。
「彼はブディストか?」と。
この信仰する宗教は何かという問いは、インドに来てからよく聞かれる。
ここでは多数の信仰が混在している。ある地域ではこの宗教、別の地域ではまた別の宗教といった、ある程度場所によって主流な宗教というのも別れる。
だから人に「宗教は?」と尋ねる事は、日本でいう「出身はどこ?」的な気軽な会話でもあるし、崇高なものでもある。
続けて、「ニブロール」「珍しいキノコ舞踊団」の皆さんの上演。
終了後、ロビーに出てみる。
見てくれた人達からの質問攻め。
僕のやった事の「意味」を問うてくるものが非常に多い。
通訳を介して何度も、私は自分の想定した意味や主張の正確な伝達を行う為に舞台を行っているのではない。
我々間の関係から起きた感情や思考が大事なのだと話す。
別にメディアからのインタビューを受けている佐藤さんも同様に随分「意味」を聞かれていたらしい。
しかし、日本からの我々の公演に対し、もっと戸惑った反応が出るかと思ったが、予想以上の熱狂で、大成功だと喜んでくれている。
片付けの後、国際交流基金のオフィスに移動し、パーティ。
僕らの欧州・アジアツアー、15回目の最後の公演が終わった。
2002年12月8日(日)
今日も仕込み日。
午前中から劇場に出かける。
いつものようにここから、照明と音のチェックとなるのだが、何か機材が足りないらしく、照明の調光が不能な状態。
インドのスタッフも、機材を調べたり、何度も電話で発注をかけてくれているが、中々ものは届かない。
照明の方は進行出来ないので、その時間を入念なサウンドチェックに当てる。
先に昼食を取る事に。
国際交流基金の佐藤さんにインドの現代アートの話を聞く。
最近では幾つかロックバンドも出てきているとの事。
昨日書いた話と重複するが、新しい流れは海外との接点が多い、ボンベイやチェンナイといった南側の地方で急速に起こっているらしい。
僕らのいる、北側のデリー近辺はやや保守的との事。
昼食後、無事機材は届きリハーサル開始。
相変わらず「012-RAG」の僕と音との関係に」課題が残る。
ここの所、本番では克服しているものの、リハーサルではいつもこの調子だ。
他のカンパニーが劇場を使用される時間なので、夕方前にはホテルへと戻る。
途中、デリー近辺の情報誌「FIRST CITY」を購入。
僕らの公演の情報も載っている。
今日は日曜で商店は閉まっている所が多い。
噂では禁酒日でもあるとか。
2002年12月7日(土)
仕込み日。
技術スタッフの方々は朝7時位から劇場で作業を開始されている。
インドのスタッフの方は朝3時30分には家を出て、5時から仕込みに入ってくれているとの事。
NUMBERING MACHINEのメンバーは、迎えに来て頂いたバンで13時に会場入り。
フランス、タイよりも二回りほど小さいステージ。
半円形に広がる客席は1階が400席超、2階が100席超で合わせると600席程度。
の割には非常にコンパクトで見易そう。
コンパクトな理由は半円の構造と客席の列の間隔が狭いからか。
伝統舞踊など色々な公演が行われているが、普段はどちらかというと現代演劇が多いかなとの、佐藤さんの説明を受ける。
インドでは舞台公演をお金を払って見る習慣は少ないという。そんな事もあり、今回は無料での上演に設定されている。
通訳の方が昨日行われたアメリカとインドのダンサーとのコラボレーションは、もう一つの反応であったと話してくれる。
劇場にこのような公演を見に来る層は、ハイソな「芸術」を期待する人が多いかもとの事。
僕らの公演の宣伝は結構マスメディアでも流れているらしい。さて蓋を開けた結果はどうなるか。
ロビーでトレーニング後、劇場に戻る。
丁度、照明のシュート開始。暫くその様子を見させて貰う。
照明も音響も今回用の発注で架設の部分も多く、険しいといわれていた進行や設備の状況は、想像以上に進んでいる感。
タイ同様、日本で仕込み作業のようなスピードは当然ない。この事は日本が珍しいケースではあるし、早く明かりも見たいし、音も出したいが、文句ではない。
効率も大事だが、やりたい事の相互理解や、その土地のやり方を知る事も肝要だ。
一旦、ホテルに戻ってデスクワーク。
帰りの車中で、日印のコラボレーション企画の作品創りの最中で、室伏鴻さんらが現在インドに滞在されている事、ボンベイにはコンテンポラリー系のグループがあるとの話を伺う。
19時に再度劇場へ。作業は続いている。明かりを見せて貰う。
当初一分間に4回転しかしないものしか用意出来ないと言われていた「011-DOT」で使用するミラーボール。
到着前に一分間に10回転のものは手に入ったと聞いてはいたが心配であった機材だが、回してみるとフランスやタイより高速。これならばいける。
ロビーで現地のスタッフの方を含めて食事。
本場のカレーを御馳走して頂く。
2002年12月6日(金)
インドへの移動日。 夕方発の飛行機なので、暫くは時間がある。
スネークファーム(毒蛇研究所)へ出かける。施設内で飼われている蛇やスライドを見た後、ショーが開始。
キングコブラ等が所員に蹴られて鎌首をもたげさせられたり、死んだ蛇を丸飲みさせられたり。
ついでに、白衣の研究所員が蛇を掴んだり、怒らせてたりして、警備員がおののく素振りという小芝居付き・・・
ショーの後は、孵化途中の蛇のホルマリン漬けなどを眺めながら、まったりと時間を過ごす。
タイの流行発信地との話の「サイアムセンター」というPARCO風のビルの店内を流した後、ホテルに戻る事に。
2時30分から、タイのアート系雑誌「OPEN」のインタビューを受ける予定がある。
掴まえたタクシーに目的地を告げると軒並み断られる。何故だ。
「トゥクトゥク」に交渉。150バーツだという。行きのタクシーより距離は短いのに料金は倍近くだ。
更に交渉するが、そっちは車が多いからと言われる。
止むを得ない。約束に遅刻は出来ない。乗る。
渋滞の中、大胆に車線変更して進む「トゥクトゥク」。
無事、ホテルに約束時間前に余裕で到着。「OPEN」のインタビュワーの方と合流。
国際交流基金の吉岡さんに通訳をして頂き、カフェで取材開始。
雑誌に表記されている文字は全く読めないが、説明と写真から察するに、国内外のアート、ポップカルチャー、政治などを取り上げた、守備範囲の広いサブカル雑誌。
活動履歴、即興なのか決め事なのか、音楽や照明との関係、何故舞台に上がるのは僕一人なのかなど、どこへでもよく聞かれる問いに答えていく。 印象に残ったのは、暗くて見ている側が辛くなるような作品が多い(インタビュワーの女性はビデオも見ているとの事)との指摘と、その事に関する彼女の方のこだわり。
本番終演後のロビーでの歓談時間でも、似た言葉をかけてきた人が多かった。
僕の作品は確かに所謂「明るい」ものではないのは無論、承知している。
が、公演場所によっては、笑いや興奮も生じている訳で、ここまで「暗い」であるとか「重い」であるかとの印象がディープに且つ割合としても多く出てくるケースは中々少ない。
勿論、その反応は僕にとって嫌なものではない。
1時間半弱の時間はあっという間になくなり、タイでの再会を約束して別れる。
バンコック空港へ。今回はチェックインも非常にスムーズに運ぶ。
タイ航空の飛行機内。エアコンの吹き出し口から濃く白い気体・・・冷蔵庫の中のような温度。寒い。寒過ぎる。
冷房の過剰サービスは入らないって。頼んでも中々届かないブランケットをようやく入手し、2枚ミイラのように巻く。
インド・デリー空港に着陸。ツアーメンバー全員で出口へ。
インドはパソコンの持ち込みに申請が必要だったり、ビデオは一人一つまでなど、電気製品の持ち込みに関して、非常にうるさいとの情報を事前に得ていた。
やはり、先頭付近にいた、大きな木箱に入った「珍しいキノコ舞踊団」の皆さんの舞台装置や、僕やスカンクの大荷物が疑いの対象になる。
チェックへの場所へと回された直後、出迎えて頂いた国際交流基金の佐藤さんの我々が日本から文化交流に来た集団であるとの説明。
一転、全てがノーチェックに。
僕とスカンクの髪を見て集まる人々の視線がこれまでのどの国より凄かったと聞く。僕は一刻も早く喫煙可能な場所へと歩みを早める事に集中していて、ちっとも気付かなかったけど。
外に出て待望の一服。思いのほか寒い。夜は6度前後との事。革ジャンをスーツケース内に整理してしまった事を強く公開。
用意して頂いた大型バスに乗り込み、各地の路上で行われている焚火のせいか、少し埃っぽい臭いのする道を走り抜ける。
イギリスの影響か、信号のある交差点ではなく、ラウンドバウトが多い。
到着したニューデリーのホテルは旧ヒルトンホテルだという高級ホテル。僕の人生には縁の無かったような豪華さ・・・
2002年12月5日(木)
今日はオフ。 朝から、3カンパニーとスタッフの方、ほぼフルメンバーで、国際交流基金の吉岡さんの御案内で世界遺産アユタヤへ出かける。
到着後、レストランでタイ料理を満喫。昼からビールも全開。
遺跡へ移動。皆は写真を取りまくっている。
上ってはいけない建造物の箇所に何度も上がっているらしく、警備員に遠くから笛を吹かれまくりの皆(笑)
遺跡を見て歩きながら、僕はここでもビールの続き。体内に入れた水分はあっという間に汗として流れ出ていく暑さと湿気。
象乗り場へ。
チケットを買って、列に並び象の背中に着けられた椅子に乗り込んでいく皆を見送りながら、僕は乗らずにここでもビール。
この後は待望のムエタイ(タイ式キックボクシング)を観に行く予定。
実は今日は国王誕生日で休日。
通常のスタジアムではなく、旧王廷そばの広場で試合があるという事でそこに向かう。
徒歩で船着き場へ。しかしいくら待っても、来るのは高速で通過していく小さな船のみ。
どうやら我々の人数を乗せられる大型船の運行は今日は終わってしまったらしい。
バス移動に切り替え。停留所へ移動。
今度は目的のバスは来ても、スピードを緩めず皆通り過ぎていく。
我々の乗りたい方向のバスは皆、満車らしい。
タクシー移動に切り替え。
そっちは込むからと何台かに乗車拒否された後、ようやく出発。
今度は大渋滞。ようやく広場近くに集合場所として決めたホテルに到着。
先に到着していた皆から安堵めいた拍手。ん?僕らが最初のタクシーに乗った筈なのに・・・
訳を聞くと、高速道路を利用したタクシーは順調で、一般道を走って遅れた僕らを心配して随分と待っていてくれたらしい。
旧王廷付近は、もの凄い人の量。
人をかき分け、車の通行の間隙をすれすれでぬい、スコールで一時雨宿りをし、遅くなったので食事を取り、屋台で買った虫の揚げ物を口に入れながら、23時30分頃、ようやく広場に到着。
巨大な空地内では、様々なアトラクションが行われている。
ムエタイのリングを発見、歩行速度を上げ近付く。試合が行われている。
しかし、隣接しているコンサートなどの別のイベントの音が物凄く大きく届いてきて集中しづらいし、立ち見の後方の後方で非常に見え難い。
残念。通常のスタジアムの賭けを含めた熱狂を体感したかったなあ。
ビニール袋に入れられて売られているペプシコーラをストローで吸い、喉の乾きを癒す。
オート三輪車の荷台を改造したバンコク名物の軽タクシー「トゥクトゥク」に乗る。
ちょっとデコトラ風の派手目な装飾がされている、屋根はあっても側面には手摺しかないこの車が切っていく排ガス混じりの風と、ガタガタの道路とやや荒っぽい運転による尻への刺激を、結構楽しみながらホテルへ戻る。
2002年12月4日(水)
バンコク公演の本番日。
昨日の就寝前にメールをチェックすると、早速フランス公演の成果が!
来年のオーストリアでのフェスティバルに僕らを呼びたいとのメールが届く。
朝9時にホテルを国際交流基金の方の用意してくれた車で出発。
技術スタッフとセッティングのあるスカンクは既に8時15分に出発している。ところが劇場に到着したのは同時の9時20分前。
彼等の車は朝の渋滞に巻き込まれた上、大型バスだった為、迂回も出来なかったようだ。異常にがっかりするスカンク。
10時からリハーサル開始。
時間も少ないし、厳しい機材状況の中を、音響の伊東さん、照明の高橋さんが非常に熱心に対応してくれる。
16時30分までは他のグループが舞台を使用する時間という事で、ホテルに一旦戻り、側頭部を刈り上げた後、昼寝。
フランス以降のツアーでは、このように時間が開く事が多い。
その為出来る昼寝が、疲れを取り非常に身体の調子をよくしてくれている。
スポーツ選手が試合前や稽古の合間に昼寝を取るという話を思い出し、その効果に感心。
まあ、単独の公演では中々昼寝は難しいだろうけど。
19時30分開演。
ここでは、「丹野賢一/NUMBERING MACHINE」「ニブロール」「珍しいキノコ舞踊団」の順での上演。
開演前に「国王賛歌」の楽曲が流れる。
すると、リラックスしていた客席の全員が一斉に立ち上がる。しかも曲がかかって1秒としない内に。
余りの客席の豹変さに驚いた伊東さんが驚いて、スイッチを2度押ししてしまい、曲に一旦ポーズがかかってしまったほど(笑)
「国王賛歌」に続いて「011-DOT」のアニメーション映像の上映。
そして本編の「011-DOT」の上演。
暗転するとやや間があって、戸惑い気味(?)の拍手。
作品間の拍手は、国内ではまず無いが、海外ではあったりなかったり。今回のこの反応はどう認識するか?
過去の作品のダイジェスト映像を挟んで、「012-RAG」。
終盤、舞台を飛び下り客席内の通路に入っていく。
客席後方まで移動し、舞台の方向に振り返ると、頭を回転させこちらを観ている視線の数々。
ん、結構集中している良い空気かも?
再度舞台に戻り、やがて退場。ギターの演奏と照明が残る中、早くも拍手が起きる。
「ニブロール」「珍しいキノコ舞踊団」と上演が続く。
「珍しいキノコ舞踊団」の皆さんの作品でも、曲の終わり毎に拍手がくるなど、全般的に凄く生真面目といった感のする反応だ。
3グループの上演を終え、出演者全員で舞台に上がる。
タイの女優さんからの花束贈呈。
終演後は、ロビーでカクテルパーティー。
反応がどうであったのか知りたくて、ロビーへと急いでみるが通路を発見できず会場内を彷徨っていると、早速サインを求められる。
ロビーへ到着すると、若い層を中心に随分と多くの観客が残っている。
資料用として置いていたフライヤーが全く机の上に置かれていない。
先に到着していた松本に事情を聞くと、あっと言う間に大量の人が集まって、一人で複数枚を持っていってくれ、終了したらしい。
何組もの方々が、話しかけてきてくれる。そして、記念撮影と握手の要望。どうやら反応は上々のようだ。
花束を贈呈してくれた女優さんら、その他タイの色々な方と話していると、「012-RAG」で僕が身体や顔を強く何度も叩くシーンの話がインパクトが強かったとの話が多く出てくる。
場所によって注目される部分の差異があるのも、面白い。まあ、今回は客席内での前記の行為をしたので、印象は特に強いかも。
在タイのメキシコ大使館の方が、80年代の文化を例に出しつつ、是非、メキシコにも来るべきだ!と話してくれる。
国際交流基金の高野さんからも、僕も大好きだったクラウス・ノミの話を出しつつ、作品の話を。ここでも80年代。
僕はやはり80年代の文化に非常に影響を受けているし、だから「PUNK」をタイトルにしているところもある。
単なる懐古的な意味ではなく80年代の話を引用しつつの賛美の言葉は接点が感じられてかなり嬉しい。
閉館ぎりぎりまで、タイの若手アーティスト達と話す。
漫画を描いているという人は、日本の「あだち充」「手塚治虫」の影響を強く受けたと語る。
でも、自分の作品は「ヘタウマ風」の独特のものらしい。作品を送って貰う約束。
タイでの我々のこの一歩を、来年以降も持続させたい思いと、その為の術を模索しつつ、帰途に。
路上の屋台で食事。
2002年12月3日(火)
3時にホテルのロビーに集合し、劇場へ移動。
勿論、技術スタッフの方達は朝一から入って作業をされている。
この付近は渋滞となる事が多い。約4キロほどの道程なのだが、1時間以上かかってしまう事もある。若しかして、歩いた方が早い?
バイクの数が多い理由が良く理解できる。
今日は順調に30分弱で到着。
楽屋で身体をほぐした後、照明のシュートを確認し、音質を作っていく。
機材や設備的に苦しいと聞いていた照明も問題なさそう。
照明の高橋さんは、タイの人達ののんびりとしたペースに、にこやかな笑みを浮かべつつの苛立ちも感じている風情だけれど(笑)
音響的は会場が広い故、全体のゲインを上げている為に出てしまうノイズと、スピーカーの特性による低音の出難さの処理に時間がかかるが、こちらも伊東さんとスカンクが様々な調整をし、合格ラインを見つける。
タイの若者向け雑誌から、2ページに渡るインタビューの申し込み。
公演を観た後に話したいとの希望なので、互いのスケジュールを調整し、タイからの出発日の昼にホテルのロビーで行う事に。
情報では、ここタイは若い客層の観客が多いらしい。前売りももう300は出ているとの事。
タイやインドに、日本の現代のパフォーマンスやダンスが行ったという話は、皆無ではないのだろうが余り聞かない。
反応が楽しみ。
ホテルに一旦戻った後、スカンクと街を少し散策。10時〜11時頃。
欧州では夕方には閉まっていく商店が、ここではいつまでもネオンを灯して、営業状態全開。
様々な客引きと、僕らに対する好奇の目や笑い声。
あちこちの道端に人が寝転んでいる。夜は子供を含めたの物乞いの人の数が増えている。
車と人とは凄い接近状態で、危険を顧みず互いの通路を確保していく。
明日は会場入りが早いので、セブンイレブンで買ったビールだけを手に、雑踏を潜り抜けてホテルに戻る。
高級ホテルやファッションビルと、セブンイレブン・ファミリーマートの店内、周辺だけが異常に清掃されている街。
2002年12月2日(月)
バンコクへ朝7時過ぎに到着。
暑さもあるが、湿気が圧倒的に違う。久々にアジアに帰ってきた事を実感。
ホテルに到着。室内は広いし、これまでの我々のツアーとは比較にならない贅沢さ。貨幣価値の違いを複雑に実感。
「夏パンク」に衣替えし、市内へ食事へ。
パイナップル髪の僕と、赤弁髪のスカンクはここでは相当に珍しいらしく、やたら笑みや驚愕混じりの視線を感じる。
これも欧州から移動した事を実感。
食事後、公演会場である「Bangkok Playhouse」へ。キャパ660という大きなホール。
ではあるが、機材的には潤沢ではないらしい。
構想を練るも、後は夜に到着する成田トランジットの技術スタッフとの打ち合わせが必要。
普段ここはテレビタレントような有名人が出る演劇が多く行われている所らしい。
下見のせいか空調が効いていない劇場内はいるだけで、体力が吸い取られていく。
昨年の夏の沖縄公演を思い出す。
一旦ホテルに戻り、国際交流基金の吉岡さんの御案内で、タイ風スキ焼きを食す。
タイの現代アートの状況などを会話。
再度ホテルへ、部屋にタイ式マッサージの人を呼ぶ。
非常に期待していたのだが、僕は昨年からトレーニング方法をかえた成果か、普段から肩や背中の凝りや張りが殆どない為、あっさりした感じ。
それでも溜まった足と尻の疲れには好感触。
因みに近くのマッサージ店にいった人はしきりに「下」の方のマッサージの勧誘を受け、辟易としたと言っていたから、僕的には大正解か。
夜0時位に到着した技術スタッフとホテルのロビーで明日の予定のミーティング。
2002年12月1日(日)
パリからバンコクへの移動日。
朝9時にシャルル・ド・ゴール空港へ向け出発。別の場所に行かれるカンバセーションの前田さんらとお別れ。
バスは順調に走り、空港到着。今度は帰国される砂連尾さんらとのお別れ。
音響、照明、舞台監督などのスタッフも一旦成田に戻る為、別行動。
それでもここからの移動は大人数、且つ大量の荷物。
そのせいか、空港でのチェックインに約3時間もかかる。搭乗までの時間がどんどん減っていく。
僕らは別行動だったのだが、成田では集団チェックインの人数と総重量との割算でOKが出ていた荷物が、ここでは一人一人計算される。
パズルを行うような状況で個々のバッグの重量計算をし、皆の荷物をほぼ預ける。
後半は重量チェックより手続きの進行のスムースさを彼等は取ったようだけど・・・
が、最後の最後にうちの制作の松本が、以前の僕らの単独ツアーのチケットと今回のタイ行きのチケットを間違えて職員に渡し、本来使用すべきチケットは既に預けてしまったと言い出す。
時間はもう無い。
結局、日本文化会館の嶋根さんの尽力と、タイ航空のチェックインを行っているエアーフランスのカウンターの人の便宜で、タイ到着後にチケットを提出すれば良いとしてくれる。
空港内をダッシュし、何とか搭乗。
身内の不手際で皆に迷惑をかけ、一日中死んでお詫びしたい気分。


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