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第4回「トーキョージャーナル大賞」パフォミングアーツ部門
すばらしき危険
トーキョージャーナル 1997年1月号(抜粋)
ジルズ・ケネディ

トーキョージャーナル  動物、植物、それとも鉱物、あなたは彼をどう呼ぶだろう。丹野賢―は白イタチのような鋭い目をした、そして白イタチよも滑らかな電気仕掛けのパフォーマーである。しかも彼は、人間にとって、全ての物になる潜在能力を持っている。彼は東京の新しい「切り刻め、焼き尽くせ、殺し尽くせ」的なパフォーマンスイべントの場の集団を先導している。マルチメディアが出回り、インターメディアが流行する時代だというのに、丹野は自らの法則にのみ従って行動している。彼は彼の舞台上での唯―の生命体である事から、ソロパフォーマーと言える。彼の乗る激しく揺れる鉄の工作品、彼を照らすライト、そして彼は体をもたせかけたり床を転がしたりする。普通の人には動かす事さえ困難な、偏菱形に組まれた鉄材、それら全ては彼の肉体の延長として存在する。私たちにはビーチボールを抱いての宙返りは可能だろうが、このやせ型の丹野は整地用の蒸気ロ―ラーに押し潰された様に平たくされる危険を冒しながら、へラクレス並みの挺の力で、巨大な球をピー玉のように転がすのだ。

 現在31歳になる丹野は本名で活動している。彼は平素、ステージで見せる断固とした行動からは想像もつかな程、つかみ所がない。彼は昨年、野外イべント白州フェスティバルにおいて、我々に深い印象を与えた。彼は巨大なパワーシャべルと格闘し、我々の泥でぬかるむ足元からアメリア・イアーハートぱりの飛翔願望 ――そして殆ど同じ類いの自殺願望――をもって飛ぴ立った。巨大な赤い蜘蛛の巣に自らを絡ませ、木々の中に神隠しの様に消える。彼はそのプラスティックなア―トへの愛をもって、自然を環境芸術のプ口の様に扱っている。

 この男のパフォ―マンスの凄さは、彼の舞台である環境に自身を溶け込ませてしまう本能の中にある。彼は形態をプラトンに比肩し得る熱意をもって受け入れているのだ。尤も、立派な哲字者が舞台装置の埋め込まれた風景の中をはい回る姿は想像しやすいとはいわないが…。 丹野にとって形態とはスタイルであり本質である。また彼の体外の形態との作業は他者性の最初の確認の再現への試みなのだ。「体が本来知っているオリジナルなものに立ち返りたい。」エナメルのワ―クシュ―ズ、ラバーパンツ、その他彼がパフォ―マンスで着用するプラスティック類全ては作品そのものの様に街で手に入れる事ができる。彼はまだ舞台上では普段着であるピンクの水玉模様のラパ―コ―トを着た事はなく、その点我々は心から有り難く思える。

 丹野のパフォ―マンスは躁病的なエネルギ―と肉体的な危険に対する無関心な程の向こう見ずさを見せつける。彼は舞台で彼を守るグ口―プを脱ぎ捨てる。バ―チャルバイオレンスがどこまでも現実的になり得る世界で彼はヒドラの九つ頭―身体表現、テキスト、ピジュアルアクロバット、ダンス、そして火喰いの奇術―に息吹き込んでいる。必要とあれぱ、消火作業の揆ね水を浴びながら・・・。


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