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赤い泥の中で
ballet international tanz aktuell 1998年7月号
立木あき子

PHOTO/SEKI SATORU
003-POOL PHOTO  今日、日本ではパフォーマンスアートを説明する際、アヴァンギャルドという言葉はめったに使われない。実際、社会的タプーが殆ど取り除かれた社会の中で、アーティストが状況を変えようという切迫した気持ちを持つ事はまれである。―方、日常生活の中で戦争や暴力など極限的な現実をメディアを通して、仮想体験する事は唯しもに可能である。
メディアの発達でりアりティとイメージの世界の境界腺までもぼやけさせた結果、伝統的な”再現性”という概念はパフオーミングアーツの分野の中では崩れつつある。

 仮想暴力が非常にリアルに見える今日、何が本物で何が自分自身が直面している現実か、確認する事は必要な事のように思える。丹野賢一は間違いなく、あえて過激なパフォーマンスに挑戦するパフォーマーの―人である。何か明確な意味合い、若しくは感情を表現する代わりに、彼は実際に観客の知覚に影響を及ぼすパフォーマンス全体にわたる視覚的要素に重きを置いている。彼は13年間のパフォーマンスを通して、―つの法則を作り出した。
それは、美術のインスタレーションのように注意深くセットした選ばれた環境の中での、身体と動きのシンプルな提示である。

 コンクリートプロック、有刺鉄腺、赤い液体の池、ピンクの粉、そして鏡。これらは、彼が今までに選んだ物質の内の―部である。彼の身体は瞬時にそれらに反応し、同時にそれらは彼の動きを触発する。

 昨年の8月、横浜美術館に隣接する新開発地区で彼が行った公演「003-POOL」は、観客に激しい衝撃を与えた独特のスぺクタクルであった。この野外公演で丹野は、赤く色付けされた水を満たした、大小様々なサイズの池を約10個程用意した。池は透明なチュープに繋がっており、それらにもまたまるで血管のように赤い水が詰められていた。
彼がジャンプすると、丹野のコートの背中に赤い染みが広がった。疾駆し、舞台装置を打ち壊し、発煙筒を投げ付ける。そこに戦場でのこうした行為が思い出されたとしても不思議がないだろう。しかしながら、そのパフォーマンスは何の隠喩でも無く、危倹を顧みない彼の激しいパフォーマンスは都会のピルの景色を背景にして、独特の美しさをつくり出していた。

 4月、丹野は「004-POWDER」という公演の再演を行なった。これは彼が以前、「憎悪」というタイトルで東京で行なった作品である。オープニングはスリル満点で何か興味深い事が起こりそうな期待を抱かせるのに十分であった。ノイズのシャワーにさらされた観客の前に、ピンクの粉に埋められた丹野の身体がゆっくりと姿を見せ始め、指、肘そして顔が次第に姿を現す。彼の顔にはピンクの泥がこびりつき、首はチェーンで繋がれていた。彼が動きだした時、ピンクの粉は空中を舞った。その後、彼は装置の急な坂から繰り返し落ちるという、どうしようもなく絶望的な無力な試みを繰り返した。前半、丹野が天井から激しく降りかかる大量の粉の中に捕らえられる頃まで、パフォーマンスは緊張を保っていた。破壊への激しい衝動、解放されようとする必死の努カと自己破壊の試みは、今日の日本の若者達が感じているだろう焦燥と共震する切迫感を示していた。

 しかし後半、全てのカードを見せてしまった後、彼の動きは行き場を無くし、それ以上のインパクトは生み出されなかった。作品を形作る基本的要素はそこにあったが、問題は閉ざされた空間の中で、どう粉を扱い、いかにして丹野のりアリティを見せるかという事だ。多分彼が公演の間中、ずっと大きなコートを着ていたという事もその理由の―つと考えられよう。それは、直に彼に届かないという欲求不満の状況に観客を置きき去りにするからである。 もう一つ問題なのは、いかにして赤い水が血の隠喩とされるような、ものそれ自体に付着した―般的な意味付けに対してどのように対処するかという点である。もし、彼が解釈を拒否するというなら彼は観客のステレオタイプのイメージに立ち向かうだけの十分な強さとリアリティを持つ存在感を示さなければならない。

 丹野は32歳である。彼は著名なダンサー・振付家の田中泯の下で、1984年からそのキャりアを開始した。その後彼は、自身のグループ丹野貿―十NUMBERING MACHINEを設立し、次第にソロバフォーマンスと約15名のメンパーとの芸術製作という自身のスタイルを創り上げていった。1996年彼はトーキョージャーナル誌の第4回トーキョ―ジャーナル大賞のパフォーミングアーツ部門でぺストパフォーミングアーティストに選定された。真実を探して彼は最も困難な道を歩んでいるように見える。時には失敗というリスクを負わなければならない。私は彼の勇気を評価したい。なぜなら、危倹を伴う実験への努力こそが我々を新たな地平腺導く唯―の道だからである。



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